1982年4月2日、当時のアルゼンチン軍事政権はフォークランド諸島に侵入。同時に英国は軍隊をここに派遣。74日間の激しい戦争後、6月14日ついにアルゼンチン軍が降伏。 (アルゼンチン側は1816年にスペインから独立した際に領有権を引き継いだと主張しています。英国は1833年に実効支配を始めました。)
英語名ではフォークランド諸島。アルゼンチン名ではマルビーナス諸島と呼んでいます。
現在、アルゼンチンは国は領有権を主張したうえで、対話を通じてイギリスに返還を求めています。
開放記念碑 |
フォークランド諸島では6月14日がアルゼンチン国占領から開放を祝うliberation day「開放の日」です。毎年「開放記念碑」で式が行われるそうです。今年は帰還兵や英国から招待者が訪れる予定です。
現在、フォークランドは英国領所属です。
フォークランド諸島(マルビーナス)は1833年から英国が実効支配していますが、アルゼンチン人はずっと長い間、小学校ではアルゼンチン領と教えられてきました。紛争が起こった時、私は中学2年でした。
この時、アルゼンチンが英国から島を取り返したので、国民はすごく喜びました。多くのアルゼンチン人が集まった5月広場でガルティエリ大統領の演説を見たのは今でも覚えています。でも、遠い南の島で20歳ぐらいのアルゼンチン召集兵がイギリス軍と戦っているという事はあまりピンときませんでしたが、テレビでは「アルゼンチン軍が戦争で勝っている」というニュースがいつも流れていました。
この紛争でアルゼンチン人649人、イギリス人255人が亡くなりました。
イギリス軍がグースグリーン戦場で亡くなったアルゼンチン兵47体をここまで運んできたのがきっかけでした
英国はアルゼンチン兵の遺体を母国へ返そうとしましたが、アルゼンチン国はこれを拒否して、島にアルゼンチンの何かを残す為にここに兵士の遺体を埋葬しました。
英国はアルゼンチン兵の遺体を母国へ返そうとしましたが、アルゼンチン国はこれを拒否して、島にアルゼンチンの何かを残す為にここに兵士の遺体を埋葬しました。
1999年から亡くなったアルゼンチン兵士遺族会がこのお墓を維持しています。
現在、ここに237兵が眠っています。
兵士全員の名前が銘記されています。
そのうち123人の兵士は身元不明です。十字架の根元の墓石にはSOLDADO CONOCIDO SOLAMENTE POR DIOS 「神だけが知っている兵士」と刻まれています。
ダーウインの荒野の真ん中にアルゼンチン兵のこれらの墓があり、強い風に揺られる度にロザリオの音だけが寂しく聞こえてきます。
生きて帰った帰還兵たちの多くは、亡くなった兵士のお墓参りのために、マルビーナスを訪れます。
アルゼンチンの女神マリアさま(ルハン)が兵士たちをいつも見守ってくれています。
車で1時間行くと、イギリス兵の墓がグースグリーン郡にあります。
グースグリーンは島で一番大きな羊の家畜牧場です。
ここで114人の島人(英国人)がアルゼンチン軍に人質にされました。
ここで114人の島人(英国人)がアルゼンチン軍に人質にされました。
一方で、アルゼンチンが降伏した時には、捕虜になったアルゼンチン兵士たちがこの小屋に閉じ込められました。
いまだに「PW」や「PG」(捕虜)という文字が小屋の壁に書かれたまま残っています。
PW: prisoner of war (英語)
PG: prisionero de
guerra (スペイン語)
サンカルロス湾にあるこの桟橋からイギリス軍が上陸しました。
近くには小さな博物館があり、近辺には紛争の傷跡の残骸がまだ見かけられます。
アルゼンチン兵士達は寒さと空腹に耐えながらこのマウントロンドンで激しい戦いをしました。
イギリス軍に攻撃されたヘリコプターの残骸がこのあたりにはまだ残っています。
町にはフォークランド歴史博物館があり、ここにも紛争関連が展示されています。
アルゼンチンの子供たちが兵士達に書いた手紙