Apr 9, 2012

最後の楽園・フォークランド(マルビーナス)諸島


 フォークランド(マルビーナス)諸島は野生動物や鳥類の楽園です。

町に一番近い楽園・ジプシーコーブ

 町のスタンレーから北西6km離れたジプシー入り江((Gypsy Cove) でマゼランペンギンの繁殖地があります。ここはフォークランドへの訪問者がペンギンに遭遇する最初のものです

時間があった私たちは、2時間半かけて歩いて行きましたが、簡単にタクシーが手配でき、市内からは15分のドライブです。

町中の道、空港への道路、1913年に座礁した鋼鉄製の船Lady Lizがそのまま放置されており、付近は鳥がたくさんいます。








 ヨーク湾は白い砂浜と海浜性の植物が覆っている美しい土地です。でも、入り江の近くは地雷があるので、遊歩道から出たら危険です。1982年フォークランド紛争当時、イギリス軍はこの入り江から上陸すると思われていたので、アルゼンチン軍は沿岸沿いを地雷を仕掛けました。


マゼランペンギンは春に(9月ごろ)現われ、4月頃北へ向います。ここには約200匹のペンギンが生息していると言われています。






キングペンギンの楽園・ボランティア ポイント

 南極へ行った時、ヒゲペンギンやゼンツーに会いましたけど、キングペンギンはいませんでした。フォークランドで最大のキングペンギンコロニーへ行くとは思いませんでした!

キングペンギンの営巣地、ボランティアポイント(Volunteer Point)は首都スタンレーから日帰り観光できるところです。マゼランペンギンとジェンツーペンギンもいます。

 

しかしオフロードの悪路なので地元民の4WDで3時間かけて行きます。タクシーやレンタカーでは行けません。
私たちもこんなハプニングにあいました。







 キングペンギンはペンギンの内2番目に大きいです。ここには1000匹生息しています。体長が8595cm。通常のペンギンの2倍ぐらいの大きさ。フォークランド諸島とサウスジョージア以外ではなかなか見れません。





ゼンツーペンギン
ここにもゼンツーが!


その他の小さな島も楽園!

シーライオン島は古くから羊の放牧が行われていた島ですが、ウールの価格下落と共に、放牧は衰退し、現在は野生動物、鳥類の宝庫になっていますイワトビペンギン、ゼンツーやマゼランペンギン、像アザラシやオタリアの生息地です。セスナーでスタンレーから40分。

西フォークランドの北西に位置するぺブル島には5種類のペンギンが生息し、フォークランド一番長い長い砂浜があります。

サウンダース島にも4種類のペンギンそしてマユグロアホウドリが生息しています。ネックとよばれる細くなったっ場所は海鳥やイルカが見られます。

カーカス島はジェンツーペンギンとマゼランペンギンのコロニーがある島です。


* これらのツアーは現地で現地旅行社へ問い合わせできます。
ボランティアポイント日帰りツアーはツアードライバーを雇えます。料金は1時間約30ポンドぐらいなので、決して安くはありません。南米価格で行かれたらNGです。

ブエノスアイレス
 

Apr 2, 2012

フォークランド(マルビーナス)紛争から30年













  198242日、当時のアルゼンチン軍事政権はフォークランド諸島に侵入。同時に英国は軍隊をここに派遣。74日間の激しい戦争後、614日ついにアルゼンチン軍が降伏。 (アルゼンチン側は1816年にスペインから独立した際に領有権を引き継いだと主張しています。英国は1833年に実効支配を始めました。)
  英語名ではフォークランド諸島。アルゼンチン名ではマルビーナス諸島と呼んでいます。 

フォークランド諸島
 アルゼンチンでは42日は「マルビーナス(フォークランド)紛争戦没者追悼の日」で祝日です。紛争から30年たち、国中で式典が行われます。


現在、アルゼンチンは国は領有権を主張したうえで、対話を通じてイギリスに返還を求めています。
 


開放記念碑

 フォークランド諸島では614日がアルゼンチン国占領から開放を祝うliberation day「開放の日」です。毎年「開放記念碑」で式が行われるそうです。今年は帰還兵や英国から招待者が訪れる予定です。

 現在、フォークランドは英国領所属です。
  



 フォークランド諸島(マルビーナス)は1833年から英国が実効支配していますが、アルゼンチン人はずっと長い間、小学校ではアルゼンチン領と教えられてきました。紛争が起こった時、私は中学2年でした。
この時、アルゼンチンが英国から島を取り返したので、国民はすごく喜びました。多くのアルゼンチン人が集まった5月広場でガルティエリ大統領の演説を見たのは今でも覚えています。でも、遠い南の島で20歳ぐらいのアルゼンチン召集兵がイギリス軍と戦っているという事はあまりピンときませんでしたが、テレビでは「アルゼンチン軍が戦争で勝っている」というニュースがいつも流れていました。

この紛争でアルゼンチン人649人、イギリス人255人が亡くなりました。


 スタンレーから西へ車で1時間半ぐらい行くと、ダーウインにアルゼンチン兵の墓地あります。
イギリス軍がグースグリーン戦場で亡くなったアルゼンチン兵47体をここまで運んできたのがきっかけでした
英国はアルゼンチン兵の遺体を母国へ返そうとしましたが、アルゼンチン国はこれを拒否して、島にアルゼンチンの何かを残す為にここに兵士の遺体を埋葬しました。




  

1999年から亡くなったアルゼンチン兵士遺族会がこのお墓を維持しています。







現在、ここに237兵が眠っています。
兵士全員の名前が銘記されています。






 

そのうち123人の兵士は身元不明です。十字架の根元の墓石にはSOLDADO CONOCIDO SOLAMENTE POR  DIOS 「神だけが知っている兵士」と刻まれています。

ダーウインの荒野の真ん中にアルゼンチン兵のこれらの墓があり、強い風に揺られる度にロザリオの音だけが寂しく聞こえてきます。





 



生きて帰った帰還兵たちの多くは、亡くなった兵士のお墓参りのために、マルビーナスを訪れます。

アルゼンチンの女神マリアさま(ルハン)が兵士たちをいつも見守ってくれています。




 

車で1時間行くと、イギリス兵の墓がグースグリーン郡にあります。









グースグリーンは島で一番大きな羊の家畜牧場です。
ここで114人の島人(英国人)がアルゼンチン軍に人質にされました。




 
一方で、アルゼンチンが降伏した時には、捕虜になったアルゼンチン兵士たちがこの小屋に閉じ込められました。
いまだに「PW」や「PG」(捕虜)という文字が小屋の壁に書かれたまま残っています。
PW prisoner of war 英語
PG:  prisionero de guerra (スペイン語)






サンカルロス湾にあるこの桟橋からイギリス軍が上陸しました。



近くには小さな博物館があり、近辺には紛争の傷跡の残骸がまだ見かけられます。








 

 アルゼンチン兵士達は寒さと空腹に耐えながらこのマウントロンドンで激しい戦いをしました。






 

イギリス軍に攻撃されたヘリコプターの残骸がこのあたりにはまだ残っています。




 

町にはフォークランド歴史博物館があり、ここにも紛争関連が展示されています。

 






 
アルゼンチンの子供たちが兵士達に書いた手紙


   若い兵隊を犠牲にしたこの戦争はなんだったのか。現在、フォークランド諸島はまさにアルゼンチンには遠い存在であり、また同時に近い存在でもあります。このたびこの島をを訪れてみて、始めて戦争の悲惨さに気づいて、複雑な気持ちになりました。


ブエノスアイレス

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