アルゼンチンでは4月2日は「マルビーナス(フォークランド)紛争戦没者追悼の日」で、 フォークランド諸島では、6月14日が「開放記念日」です。
毎年、フォークランド諸島のスタンレーの町では、「開放のモニュメント」で戦死者を弔う追悼集会が開かれます。
今年は約350人が集まり、イギリスから来た当時戦った元兵士も参加しました。
同日、我が大統領のクリスティーナ・フェルナンデスは、植民地の独立を監視する国連の委員会に出席し、「マルビーナス(フォークランド)はアルゼンチンのものだと無理に言わせようとは思わない。話し合いの場を持ちたいだけだ」と領有権を議論するよう、1833年から実効支配をしている英国に求めました。
参加した諸島の自治政府立法議員が、島民の声の手紙ををクリステーィナ大統領に渡そうとしましたが、クリスティーナは拒否しました。今でもアルゼンチン政府は島民の意見を無視しています。
アルゼンチン政府は、フォークランド諸島への船の入港拒否をしたり、最近はロンドンオリンピックに向けて、島民を怒らせるコマーシャルをテレビで放映もしました。
こんな状況の中、島の自治政府は去る6月12日に諸島の帰属に関する住民投票を実施する方針を発表しました。
キャメロン英首相は、住民がアルゼンチンへの帰属を求めない限り、返還を拒否する方針なので、英国は住民投票の結果を尊重すると表明しています。
彼たちは「我々は180年間も住んでおり、孫で8世代目もいます。島民は1番目にフォークランド、2番目に英国」と語っています。
この30年前に起こった紛争を島民は、まだ昨日のように覚えています。そしてスタンレーの近辺に残っている地雷と共に生活してきた、紛争を知らない若い世代たちも、アルゼンチン政府とは携わりたくないと思っています。
現地でこんな看板も! |
この紛争4年後のサッカーワールドカップで、アルゼンチン代表はイギリスと対戦して、マラドーナの「神の手」で勝利しました。そして今でも、アルゼンチン国民はイギリスと試合がある度に、自国に対する強い愛国心があふれてくると言います。
その心境の背景には、きっと敵と味方として対戦したフォークランド紛争に根ざすものがあるのでしょうか。