May 26, 2012

アメリカ大陸の日系人について・Discover Nikkei ディスカバー日系


みなさん、DISCOVER NIKKEI をご存知ですか?

 ディスカバー・ニッケイは、日系人のアイデンティティ、歴史、体験をテーマとした、コミュニティ・ウェブサイトです。 
 
 世界中に移住した日系、すなわち日本に先祖を持つ人々のストーリーや、考え方を共有することで、このプロジェクトは世代やコミュニティを繋いでいます。
   
 全米日系人博物館の日系人の歴史保存プロジェクトの主要事業となっています。

 1998年頃、全米日系人博物館国際日系研究プロジェクト(19982001年)をきっかけに博物館を知りました。10各国14団体から100名以上の学者が、多国籍研究チームとして参加し、多岐に渡る学問領域でのリサーチが行われました。アルゼンチンではセントロ日系団体がコーディネートしました。 

 このコミュニティ・サイトでは日系人の様々なストーリーをインタビューやエッセイ、記事、また写真などで紹介しています。

・インタビューでは、映像を通して、日系人のライフヒストリーを自らの言葉で語ってくれます。
こんなインタビューがあります。

ノーマン・ミネタ氏 → インタビュー
2000年、当時のクリントン大統領による任命で初のアジア系アメリカ人内閣として商務長官に就任。翌年、ジョージ・W・ブッシュ大統 領の任命により唯一の民主党内閣として運輸長官に就任し、9.11テロで、米国史上初めて全民間航空機の緊急着陸を命令した人物です。

高木一臣氏 → インタビュー
三重県出身、今年、87歳を迎え、日本人 コミュニティ新聞、『らぷらた報知』のジャーナリストとして活動を続けている大先輩です。

私もインタビューされました。 → インタビュー


ジャーナルでは、日系の体験談を、さまざまな角度から紹介しています。私的エッセイ、研究報告書、人物談、意見書など、たくさんの記事を読むことができます。

 お勧めは日系ブラジル人ラウラ・ホンダ・ハセガワ氏がポルトガル語・日本語の二ヶ国語で彼女の子供時代の体験をおもしろく「オハヨウ ボンディア」というエッセーで語っています。
 Ohayou Bom Dia


・日系アルバムでは、写真や動画、その他の記録媒体やデジタルメディアを使って、ストーリーをシェアできます。

 パラグアイとブラジル日系社会との交流の写真アルバムは興味深いです。→ Album


 またディスカバー・ニッケイのオンライン資料にアクセスすることで、日系関連情報を閲覧することができたり、歴史や文化に関する情報を検索したり、オーラル・ヒストリーの記録方法などを学ぶことができます。

 「日系のことを学びたい」、「日系の体験を伝えたい」という世界中の人々はディスカバー・ニッケイ・グローバル・コミュニティーの「ニマ会」に参加できます。

 世界各国から、多くの団体が重要資料の提供や翻訳協力など、さまざまな面でディスカバー・ニッケイへ協力しています。

 これらの団体は、歴史保存、日本語教育、文化振興、日系人へのサービスやサポートなど、日系に関する諸問題に、それぞれの地域で真剣に取り組んでいます。

 団体の活動をチェックしてください。→ 参照する

全米日系人博物館
アメリカ、ロサンゼルスのLITTLE TOKYO(リトル東京)近辺にある全米日系人博物館に是非お立ち寄りください。

 資料: DISCOVER NIKKEI http://www.discovernikkei.org

May 13, 2012

日本で注目されているアルゼンチン音楽家・カルロス アギーレ氏、5月14日NHKBS1番組 エル ムンド


 3年前、在日アルゼンチン大使館で働いている友人から、「アルゼンチン音楽が大好きな人がブエノスに行くのでよろしく」というメールが届きました。数日後、その方から連絡があり「カルロス アギーレという音楽家と連絡したい」と言われました。彼はブエノスから約500km離れたパラナという町に住んでいますが、「ブエノスでライブをするので、その間に合ってもいい」と言われました。これはこれはすばらしい出会いでした。

 現代のアルゼンチンを代表する音楽家の一人、カルロス アギーレ氏は自然を愛するシンガソングライター、ピアニストそして詩人です。彼の音楽の特徴は繊細さ、季節や日常の細かい変化などが伝わってくる音楽です。そして一枚一枚の手作りジャケットには、カルロスさんの音楽への思いやりがこもっています。

 カルロスさんはその後、日本ツアーを行われ、今年の2月に新作 ORILLANIA「オリジャニア」をリリースされました。また「カルロス アギーレに捧ぐコンピレーションBar Buenos Aires」というCDも日本で販売されました。
 
CD オリジャニア
コンピレーションCD BAR BUENOS AIRES

 510日から19日まで全国各地でライブが開催され、地方公演はソールド・アウトも出てきているようです。

 この2年間、カルロスさんとは、電話やメールのやり取りをしてきました。そして去年の12月には雑誌の取材で自宅に訪れました。彼の優しさとその音楽は、カルロスさんの生活そのものに現れていました。商業的な音楽から離れ、音楽をアートとして生きていく彼の人生はなんとすばらしい、とつくづく思いました。

 アルゼンチン日系人として、アルゼンチンと日本を繋ぐのが私の役割と思っています。ある日本人の想いが、あるアルゼンチン人に届き、今、日本のみなさんがそのアルゼンチンの音楽を聴けるという事は、なんかすごい事かも。その架け橋になれて嬉しいです。

カルロスさん紹介 
カルロスさん宅のパティオで

「アルゼンチン音楽を代表する孤高の存在にして生ける伝説。現代フォルクローレ・ムーヴメントの精神的な支柱として、厚い信頼と幅広い支持を得るコンポーザー/ピアニスト/シンガーそして詩人。

 1965年、アルゼンチンのエントレリオス州の小さな村、セギーに生まれる。フォルクローレなど自らの郷土の音楽に深く親しみながらも、キース・ジャレッ トやパット・メセニーなどのモダン・ジャズにも影響を受け、80年代後半より音楽活動を始める。セッション・ピアニストとして頭角を現した後、2000年 代に入り、自身のグループでの活動を開始。

 現在は自然豊かなパラナを拠点に、都会の喧噪とコマーシャリズムから遠く離れ、河のほとりで創作活動を続ける傍ら、自身が主宰するレーベル「シャグラダ・ メドラ」より「カルロス・アギーレ・グルーポ」名義で3枚、ソロ名義でピアノ作品を1枚リリースし、どれもが名作として大きな評価を得ている。特にグルー ポ名義での作品は、全てに1つ1つ手描きの水彩画を封入するなど強い美意識とこだわりを感じさせ、もはや音楽を超えたアート作品の域に達している。

 ここ日本でもゆっくりとファンを増やしてきたが、遂に2010年に待望の初来日を果たし、その人気に一気に火がついた。今年219日、5年振りとなる新作『オリジャニア』をソロ名義でリリース。大きな注目を集めている
。」(IMPARTMENT サイトより)

きっとみなさんも彼の音楽を聴く瞬間、ネグロ(愛称)アギーレのファンになると思います。

カルロスさんとパラナ川

カルロス・アギーレ&キケ・シネシジャパンツアー 2012年5月 → JAPAN TOUR

Carrlos Aguirre カルロス アギーレ→ オフィシャル サイト

視聴はコチラ →  http://www.myspace.com/aguirrecarlos

TOWER RECORDS → インタビュー

エココロ雑誌サイト自宅で弾いていただいた時の映像です ←ここクリック

 NHK BS1番組エル ムンド 51411pm1150pm http://www.nhk.or.jp/elmundo/ 
「南米・アルゼンチン音楽の宝と言われる2人のミュージシャン、カルロス・アギーレとギターリスト のキケ・シネシ。それぞれがタンゴやフォルクローレなどのアルゼンチンの音楽を独自の世界観で進化させてきた。そんな孤高の天才二人が手を組んだ今回の来日。彼らが追い求める世界とは?」



May 11, 2012

番組放送のご案内・NHK海外ネットワーク「フォークランド(マルビーナス)特集」

先週、またフォークランド諸島へ行ってきました。
今回は、NHKの取材のためでした。

今日5月12日、午後18時10分から、NHKの海外ネットワークという番組で「フォークランド紛争30年」が放送されます。

「イギリス系住民が暮らすフォークランド諸島は30年前、アルゼンチンの侵攻で戦場になった。島には今も傷跡が残る。周辺に海底油田が見つかり、新たに資源開発が紛争の火種となりそうな気配も。住民の思いは。」

Programa especial sobre MALVINAS-Falklands en el programa NHK Kaigai Network, hoy, a las 18:10 horas. 
Se transmitirá en todo Japón y lo podrán ver tambien los que están suscriptos al canal NHK International.

http://www.nhk.or.jp/worldnet/

Apr 9, 2012

最後の楽園・フォークランド(マルビーナス)諸島


 フォークランド(マルビーナス)諸島は野生動物や鳥類の楽園です。

町に一番近い楽園・ジプシーコーブ

 町のスタンレーから北西6km離れたジプシー入り江((Gypsy Cove) でマゼランペンギンの繁殖地があります。ここはフォークランドへの訪問者がペンギンに遭遇する最初のものです

時間があった私たちは、2時間半かけて歩いて行きましたが、簡単にタクシーが手配でき、市内からは15分のドライブです。

町中の道、空港への道路、1913年に座礁した鋼鉄製の船Lady Lizがそのまま放置されており、付近は鳥がたくさんいます。







 ヨーク湾は白い砂浜と海浜性の植物が覆っている美しい土地です。でも、入り江の近くは地雷があるので、遊歩道から出たら危険です。1982年フォークランド紛争当時、イギリス軍はこの入り江から上陸すると思われていたので、アルゼンチン軍は沿岸沿いを地雷を仕掛けました。


マゼランペンギンは春に(9月ごろ)現われ、4月頃北へ向います。ここには約200匹のペンギンが生息していると言われています。



キングペンギンの楽園・ボランティア ポイント

 南極へ行った時、ヒゲペンギンやゼンツーに会いましたけど、キングペンギンはいませんでした。フォークランドで最大のキングペンギンコロニーへ行くとは思いませんでした!

キングペンギンの営巣地、ボランティアポイント(Volunteer Point)は首都スタンレーから日帰り観光できるところです。マゼランペンギンとジェンツーペンギンもいます。

 

しかしオフロードの悪路なので地元民の4WDで3時間かけて行きます。タクシーやレンタカーでは行けません。
私たちもこんなハプニングにあいました。







 キングペンギンはペンギンの内2番目に大きいです。ここには1000匹生息しています。体長が8595cm。通常のペンギンの2倍ぐらいの大きさ。フォークランド諸島とサウスジョージア以外ではなかなか見れません。



ゼンツーペンギン
ここにもゼンツーが!

その他の小さな島も楽園!

シーライオン島は古くから羊の放牧が行われていた島ですが、ウールの価格下落と共に、放牧は衰退し、現在は野生動物、鳥類の宝庫になっていますイワトビペンギン、ゼンツーやマゼランペンギン、像アザラシやオタリアの生息地です。セスナーでスタンレーから40分。

西フォークランドの北西に位置するぺブル島には5種類のペンギンが生息し、フォークランド一番長い長い砂浜があります。

サウンダース島にも4種類のペンギンそしてマユグロアホウドリが生息しています。ネックとよばれる細くなったっ場所は海鳥やイルカが見られます。

カーカス島はジェンツーペンギンとマゼランペンギンのコロニーがある島です。


* これらのツアーは現地で現地旅行社へ問い合わせできます。
ボランティアポイント日帰りツアーはツアードライバーを雇えます。料金は1時間約30ポンドぐらいなので、決して安くはありません。南米価格で行かれたらNGです。

Apr 2, 2012

フォークランド(マルビーナス)紛争から30年


  198242日、当時のアルゼンチン軍事政権はフォークランド諸島に侵入。同時に英国は軍隊をここに派遣。74日間の激しい戦争後、614日ついにアルゼンチン軍が降伏。 (アルゼンチン側は1816年にスペインから独立した際に領有権を引き継いだと主張しています。が英国は1833年に実効支配を始めました。)
  英語名ではフォークランド諸島。アルゼンチン名ではマルビーナス諸島と呼んでいます。 

フォークランド諸島
 アルゼンチンでは42日は「マルビーナス(フォークランド)紛争戦没者追悼の日」で祝日です。紛争から30年たち、国中で式典が行われます。


現在、アルゼンチンは国は領有権を主張したうえで、対話を通じてイギリスに返還を求めています。
 


開放記念碑

 フォークランド諸島では614日がアルゼンチン国占領から開放を祝うliberation day「開放の日」です。毎年「開放記念碑」で式が行われるそうです。今年は帰還兵や英国から招待者が訪れる予定です。

 現在、フォークランドは英国領所属です。
  



 フォークランド諸島(マルビーナス)は1833年から英国が実効支配していますが、アルゼンチン人はずっと長い間、小学校ではアルゼンチン領と教えられてきました。紛争が起こった時、私は中学2年でした。
この時、アルゼンチンが英国から島を取り返したので、国民はすごく喜びました。多くのアルゼンチン人が集まった5月広場でガルティエリ大統領の演説を見たのは今でも覚えています。でも、遠い南の島で20歳ぐらいのアルゼンチン召集兵がイギリス軍と戦っているという事はあまりピンときませんでしたが、テレビでは「アルゼンチン軍が戦争で勝っている」というニュースがいつも流れていました。

この紛争でアルゼンチン人649人、イギリス人255人が亡くなりました。


 スタンレーから西へ車で1時間半ぐらい行くと、ダーウインにアルゼンチン兵の墓地あります。
イギリス軍がグースグリーン戦場で亡くなったアルゼンチン兵47体をここまで運んできたのがきっかけでした
英国はアルゼンチン兵の遺体を母国へ返そうとしましたが、アルゼンチン国はこれを拒否して、島にアルゼンチンの何かを残す為にここに兵士の遺体を埋葬しました。



  

1999年から亡くなったアルゼンチン兵士遺族会がこのお墓を維持しています。







現在、ここに237兵が眠っています。
兵士全員の名前が銘記されています。





 

そのうち123人の兵士は身元不明です。十字架の根元の墓石にはSOLDADO CONOCIDO SOLAMENTE POR  DIOS 「神だけが知っている兵士」と刻まれています。

ダーウインの荒野の真ん中にアルゼンチン兵のこれらの墓があり、強い風に揺られる度にロザリオの音だけが寂しく聞こえてきます。



 



生きて帰った帰還兵たちの多くは、亡くなった兵士のお墓参りのために、マルビーナスを訪れます。

アルゼンチンの女神マリアさま(ルハン)が兵士たちをいつも見守ってくれています。




 

車で1時間行くと、イギリス兵の墓がグースグリーン郡にあります。








グースグリーンは島で一番大きな羊の家畜牧場です。
ここで114人の島人(英国人)がアルゼンチン軍に人質にされました。




 
一方で、アルゼンチンが降伏した時には、捕虜になったアルゼンチン兵士たちがこの小屋に閉じ込められました。
いまだに「PW」や「PG」(捕虜)という文字が小屋の壁に書かれたまま残っています。
PW prisoner of war 英語
PG:  prisionero de guerra (スペイン語)




サンカルロス湾にあるこの桟橋からイギリス軍が上陸しました。



近くには小さな博物館があり、近辺には紛争の傷跡の残骸がまだ見かけられます。






 

 アルゼンチン兵士達は寒さと空腹に耐えながらこのマウントロンドンで激しい戦いをしました。






 

イギリス軍に攻撃されたヘリコプターの残骸がこのあたりにはまだ残っています。




 

町にはフォークランド歴史博物館があり、ここにも紛争関連が展示されています。

 






 
アルゼンチンの子供たちが兵士達に書いた手紙

   若い兵隊を犠牲にしたこの戦争はなんだったのか。現在、フォークランド諸島はまさにアルゼンチンには遠い存在であり、また同時に近い存在でもあります。このたびこの島をを訪れてみて、始めて戦争の悲惨さに気づいて、複雑な気持ちになりました。

Mar 31, 2012

フォークランド(マルビーナス)諸島へ行ってきました・宿情報

フォークランド諸島はある地図ではマルビーナス諸島と書かれているのもあります。
それは英語名でフォークランドそしてスペイン語(アルゼンチン名)ではマルビーナスとよばれています。

現在、交通の便も悪く交通機関が高価です。でも最近、南極クルーズツアーで訪れる一つの名所になってます。この場合、1日スタンレーを散策したりする方が多いです。滞在中、南極行きのクルーズが寄港していました。

飛行機では、毎週土曜日、ランチリがサンチアゴ→フォークランド→サンチアゴを飛んでいます。同じ便がは月に1回、アルゼンチンのリオガジェゴス経由で飛んでいます。英国からは週2回飛んでいます。
 
  スタンレーでは、マルビーナホテル(MALVINA HOTEL)と私たちが泊まったヲターフロントホテル(WATERFRONT HOTEL)の2軒のホテルがあります。民宿やホームステーができる場所も何件かあります。 キャンプも可能です。

 キャンプ(郊外)や他の島では、ロジやファーム(農場)で宿泊も可能です。
ファームでは農場体験や1982年に起こった紛争場所など訪れられます。
SEA LION LODGEDARWIN LODGEがあります。
Malvina hotel
Bennet Guest House

 Malvina ホテルは島で一番大きなホテルです。36室あります。最後の夜はこのホテルの高級レストランで夕食をしようと思い、当日予約しに行きましたが、なんとレセプションにいたお姉ちゃんが無愛想に「月曜日まで満席」。「レストランを見てもいいですか」の返事は「NO、今は準備中」でした。毎日、優しくウェルカムに迎えてくれた島民とは大違い、経済成長で数年後、ホテルチェーンなどが進出し、このお姉ちゃんみたいな対応になるんだろうかと思いました。

 Waterfront hotelは マルビーナと同じく、メインストリートのロス ロードにあります。ツーリストインフォメーションから徒歩3分、、スーパーやお土産さんも近い範囲にあるので、最高のロケーションです。

 
オーナーは21年前から在住しているチリ人のアレックス氏。

センスの良い彼は、サンチアゴの家具屋さんにソファやテーブルやランプは特別にオーダーして取り寄せたと
自慢していました。

  

今年の冬、外観をリフォームして、 来年は部屋を大きくする予定だそうです。再来年、楽しみですね。

ダイニングルームからスタンレーの湾を見渡せます。
この町では鍵をかける必要はないです。治安の悪いブエノスアイレスとは大違い。





 

去年、12月の末に予約した当時は、一番安い部屋は55ポンドでしたが、今年はフォークランド紛争の30周年記念のため、需要が多いため、今は80ポンド に値上げしたそうです。
8室あります。そのうち、3室はトイレは共同ですが、リフォーム後は全室プライベートシャワー&トイレになります。





  

アレックスは、去年までオーナーチェフでレストランを経営していました。

毎晩、島の名物の子羊や魚料理を調理してくれます。



 
宿泊しなくても、ディナーは可能ですが、事前に予約が必要です。町の他のレストランと粗高いですが、美味しいので、お勧めです。

          

 
アレックス氏と記念写真。
彼は島人と同じくこの島を愛しています。
スペイン語か英語で対応してくれます。





ホテルで毎日、笑顔で迎えてくれたKATHY(ケイティ)もチリ人です。毎朝、朝食を用意してくれました。
ありがとう!
 




Waterfront Hotel (Stanley). 36 Ross Road  
Email thewaterfronthotel@cwimail.fk                       Tel +500 21462

Malvina Hotel (Stanley) 3 Ross Road         
Email info@malvinahousehotel.com                        Tel +500 21355

Bennet House  (Stanley) 14 Allardyce Street                                 
Email celiastewart@horizon.co.fk                            Tel +500 21191

 フォークランド諸島観光局のサイトでは細かく宿情報が掲載されています。

Mar 26, 2012

3000人の島



Ross Road
警察署


 フォークランド諸島は、東フォークランド島と西フォークランド島、そして小さな島が数多くあり、約3000人が住んでいます。主要都市のスタンレーは空港から48km離れています。アルゼンチン名はプエルト・アルヘンティーノです。 
 


  

郵便局


 スタンレーの町は、1日で廻れます。
メインストリートのロスロードには郵便局、銀行、教会や警察署があります。

フォークランド諸島の切手や初日カバーは、世界的に知られており、郵便局で直接購入することができます。
 


お土産さんも何件か並んでいます。
ペンギンや帽子、キーホルダーには欠かせなく「FALKLAND」の文字があります。
紛争のDVDなども販売されています。

お土産さん



お土産のマグネット


 島の90%はイギリス出身(スコットランドやウェールズ)、9世のフォークランド生まれもいます。
約290人のチリ人が住んでいます。フィリピンや英国領土のセントへレナからも出稼ぎにきています。漁業関連の仕事にはインドネシアやペルー、スペインからも。
アルゼンチン人は約29人ぐらいで、フォークランド人と結婚している人が多いです。






郊外で見かける風景

英国出身者が圧倒的に多い島民は英語を話し、英国の市民権を持っています。文化はブリティッシュです。残念ながら、スペインや南米・アルゼンチンのなごりは何もありません。フォークランド紛争でアルゼンチン兵隊が仕掛けた地雷ぐらいかも。

 




 風が強いせいか、島人はスタンレーの道を歩く習慣はありません。買い物や仕事、学校や病院へは車で移動します。LANDROVERそして日本車の4駆動が多いです。
 
 


  
 最近、アルゼンチンとの関係が悪化し、イギリスやフォークランドの旗が車や家の窓や店の外で見かけられます。

 

 


スタンレーの町
この3000人の島では誰が何をしているか、みんな知っています。もちろん、カメラを持った東洋系の私たち3人組の行動も。

 サンチアゴ行きのフライトを待つ空港のロビーでは、この旅で出会った旅行会社のおばちゃんや取材した漁船会社の社長さんや地元メディアのペンギンニュースのスタッフや島で何回かあった海外メディアの記者たちと一緒で、近所の集会みたいでした。



島の唯一の新聞紙ペンギンニュース
  

 
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